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エンジェル-悪夢

2015年02月13日 15:50

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・序章-壱拾弐 (過去文-2013作成)





「―――――――」

私は昔から、どちらかというと物分りのいい部類の人間だったんだと思う。

母と父の事を疑ったことはなかったし、その素直な姿勢がものの見方や人の生き方に強く関わるだろうことは随分前から気付くことが出来ていた。疑ったり否定的な見方をすることも大切だけれど、それは事の場合による。でもそれだってまずは正面から向き合うことで、人の視界や思考は広がっていくもの。人一人が生涯で経験できるものなんてこの世の事象に比べればたかが知れてるんだから、そうして知ることに貪欲になるのは強ち間違ったことじゃないし、誰の頭でも不可能な事じゃないと思う感覚は私には当然のものだった。

人とは見て、触れて、知ることが充実を得る一つの手段になる。

他の生物にはない複雑な思考を可能にしているのが、私たちなのだ。

受け入れることで満たされるものがあると、それさえ知っていれば私はいくらだって知欲に塗れることが出来る。

私はそう、信じて疑うことがなかった。

「っ」

―――けれど、実際はどうだろう。

今の私の頭の中は凄まじい混乱と拒絶に思考を奪われ、知欲なんてものは欠片も抱いてはいない。

考え思考を巡らすことに不可欠な理性が、見る影もなく感情の嵐に呑まれてしまっているではないか。

怖い。

逃げたい。

助けてっ。

だれか!

馬鹿みたいにそんな感情と本能に支配された言葉が頭の中で強く大きく渦を巻くだけ。

声すら出ず手足さえ動かせないような恐怖に唖然とし、渦巻く言葉すら叫べず立ち尽くす状況のどこに、目の前に映る光景を受け入れる余裕があるというのか!

<ザザ、ズ、ズッ>

何かが引きずられるように悍ましい音に私の体は大仰に震える。

目の前の光景が信じられない。

勢いよく開け放った扉の向こうに見えたもの。

その正面の空間を占め、私の視線を一瞬で奪ったそれは―――

どす黒く混濁し、宙にぽっかりと穴を空けた空間から這い出てこようとする、翼のようなものを大きく広げた人の姿。

ぼたぼたっ、と液体のようなものをしきりに垂らして私の鼓膜を犯し、徐々に姿を現そうとするそれを言い表す言葉があるとすれば。

今私の目の前にあるのは、生きた'悪魔'の、実像。


ぬらりと粘つく闇から体を引きずり出そうとしているそれがふと顔を上げる。

照明もないリビングの中で、さして夜目の聞かない筈の私の目にもその動作と、下半身の半分を飲み込んだままのその'穴'はおかしなくらいはっきりと見て取れた。

凝視する私とその'悪魔'の視線がかち合う。違う。実際には前髪を長く垂らして目元を覆っている'それ'の視線の行方なんて見て取れはしない。

でも私の姿がその隠された目に映った事は確かだった。

私はぞわぞわっと、言い表すこともできない悪寒に全身を凍り付かせる。

怖い、怖い、喰われる―――

そう思った途端、私の中に眠っていた何かが弾け飛ぶように跡形もなく散散した。

私は恐怖に支配された視界からその理解できないものを排除するよう身を翻す。

まるで頭にひどく濁りぼやけた霞が膜を張ったように、何も考えず突発的に駆けた。

私は何も見てない。

見てない。

見てなんか、いない!

この時駆け込み、慌ただしく鍵を閉めて身を隠したのが寝室だったのだから、私の動揺と混乱の程度は後に容易に推し量ることが出来た。

荒い息を繰り返しながら施錠した寝室の扉を振り返り、そのままゆっくりと後退していく。

あれは夢だ。

今までで一番リアルで恐ろしい、悪夢だ。

でも所詮は夢、ベッドに戻ってまた眠りにつけば、きっとまた目覚めたときにはいつもの平穏な朝が私の身を包み込んでいる――――

そんな、訳の分からない思考は飛び交うのに現状を把握する意思は微塵も沸かない。混乱の極み。現実と思考の放棄という、最悪の選択をこの時私はしてしまったのだ。

今にも腰が砕け落ちそう。私はそれに逆らわず、崩れ、縋るように情けなくベッドに横たわり腕に抱きこんだ枕に深く顔を埋めた。

私は何も、見ていないっ!

その時だった。

布団も掛けないまま、身軽な部屋着を着た身体が一瞬ふわりとした不思議な風のようなものを肌に感じ取った。時が止まったと表現したくなるような、五感を麻痺させる空間を纏った感覚と言えば想像くらいは出来るだろうか。

でもその感覚がフッと過ぎ去ると同時に、耳を打つような静寂が訪れた、次の瞬間のことだ。

< ―――――――――― >

私の張りつめすぎた神経を突き刺し、ズタズタに切り裂いたのは嘗て聞いたこともない破壊音。

それと同時に私の髪と服の裾が強引に、嬲られるような容赦ない豪風に攫われる。

私は、咄嗟に腕にある、この状況でなんの意味もなさないだろう枕にしがみ付き滑稽な姿をその場に晒した。

もう、嫌・・・。

破壊音と衝突音が止む。風が嘘のように掻き消え、私の愚な様をより醸し出すかのように布団に髪を散らし、その凄まじさの形跡を残していった。

頭が、痛い。

そして私は、もう何が何なのか、自分がどういった状況にあるのかの一切の思考を切り離し、容量を超えた頭が酷く重いことだけを意識の片隅で意識しながらゆっくりと顔を上げた。

けれど、視界は霞み。黒くもやもやとした何かが目の前で蠢くのを見つめるだけ。それがいったい'何'なのかは追求しなくても分かった。

これはさっきの人の形をした悪魔、だ。

たった今生じた豪風。それはきっと、この悪魔が寝室の扉や壁を打ち壊すために起こした私の理解の及ばない現象なのだろう。ファンタジックな娯楽本によくあるような、魔の力とか、そんな感じの化学現象とは無縁の何かを原動力としたもの。

そんな訳の分からない力を操る存在に非力な私が叶うはずがない。

「私は、喰われるの・・・?」

私は無意識に、掠れきった声でそう呟く。

私はあまり空想的要素が強い書物や映画は好んで手に取らない。だから悪魔なんて迷信的なもの、人に害を及ぼし殺戮を好み、最悪獣のように人の身を喰らう。なんて、人の天敵と言える要素を兼ね備えた部分だけを掻い摘んだようなイメージしかない。だから咄嗟に、口から洩れ出た言葉だった。

でもその瞬間、異様な空気が立ち込め、私はどうしてか絶望的な感情を抱く。

「 ―――― いずれ」

私の声ではない。言葉ではない。

「・・・・え」

予想だにせず耳元で紡がれたそれは吐息だけで成したものだった。

小さな疑問の一音を紡いだ私は、途端に目が覚めたように目を大きく見開く。

近い。

「いや」

私は心が、感情がせきを切ったように思考の中に流れ出すのを味わった。

いずれ?

それは、つまり、私はこの得体の知れない何かに喰われるという事?

それの意味するものはなに?

私はどうして、全てを諦めたように蹲ってしまったの?

「嫌」

このまま逃げることも、助かる意思も捨ててしまったら私は一体どうなるの。

そんな真似をして、私は母との約束を守れる?

喰われたら、どうなる。

とりとめない言葉が羅列を成して思考を、理性を取り戻していく。

助かる方法を見出さずにいたら、私は―――

「小太郎」

呟いた自分の言葉にはっと我に返った。怒涛のようにあらゆる感情と恐怖を具現したような状況、それから私の滑稽な姿が映像となって頭の中に叩き込まれる。

私は生きて、小太郎と再び会う。そしてこの腕に抱きしめるのだ。あの子の、私の天使はきっと寂しい想いを必死で堪え私が探し出すのを待っている。

「っ、こっ、来ないで!」

私はこんな簡単に、訳も分からない存在に命を奪われあの子の求める手を振り払ったりしない。私はあの子を、裏切らない。

間近にある黒い塊を押しのけようと振り上げた腕の動きで、瞳の霞が抜け落ちた。それが網膜いっぱいに溜まった涙の滴だと気づく。五感が息を吹き返したように、暗い室内を捉える視界が明瞭になる。

<ボタッ>

重い音が鈍く耳朶を打つ。

「ひより、・・」

え。

どくどくと、不規則な鼓動がすぐ傍で聞こえた。そんな気がした。振り上げ固い感触に阻まれた腕が動きを止める。

「あ・・・」

生ぬるいものが腕を伝った。私は目の前のものを凝視する。

「ひっ!」

引き攣った音が喉の奥に張り付き、重なる鼓動のように荒い息使いがその場に二つ、重なった。

液体の音はしきりに鳴り、粘ついたような感触を以て私の体に、落ちてくる。

「俺の、ひより」

暗闇に同化したそれの姿は私の目に正に悪魔の如く邪悪に、恐ろしく。露わになった肢体の線がなす形は大きな猛々しい獣のように映った。

けれど、どうしてか、その禍禍しいほどの存在は闇と同じ色の血を、全身の至る所に滴らせているではないか。

私はいつの間にかベッドに俯せになり息を止めていた。あまりに近くにあるその悪魔のような存在を認識しながら理性を働かせようと必死に足掻くも、するりと絡めとられた視線に抗う術がどうしても思いつかなくなっていた。

まるで、何か底知れない想いが、見つめ合う目の前のものと激しく混ざり合うかのよう。

その感覚が私に抗うことを、許さない。

「漸く、この腕の中に――」

そう言った悪魔の吐息。今にも止まってしまいそうなほど乱れた呼吸は弱弱しい。異常な状態。瀕死の魔物。私に悪魔と魔物の違いなんて判らない。どちらも呼び方が違うだけで一緒くただ。

それでも、詰まる喉の奥から必死に押し出そうと、私の頬を翳めるそれの吐息が言葉を紡ぐ様に、何故かひどく心を打たれた。

でも私にはそれが何を言っているのかわからない。何を言おうとしているのか、予測ができる筈もなかった。

けれど言葉の通りに人の形をしたそれの腕は私の頭に、腰に回った。逃さない。そう主張するように手前に引き寄せられ。力加減を知らない力というのを私はこの時始めて、体験した。

潰される―――

すると次の瞬間、奪われた意識の隙を心得たかのような衝撃が私の身に起こった。

自分以外の呼吸が、唇の奥に押し込まれる。

私はそのとき声を出す方法すら、忘れた。

一度大きく舌と交わるものを感じた直後、それは私の唇から遠ざかり。

同時に体を押し潰す力が緩んだことで私に呼吸が戻って、声を出せなかったのはこのためだと的外れな事を思った。

仰向けの体に巻き付いた固い腕が、大きな肢体が私の体の上で弛緩していく。

頭の真横で、力尽きたように、ドサッと落ちた悪魔の頭がマットレスに沈んだ。

私は暫く全身を硬直させたまま自我を失い、見慣れた天井を仰ぎ続けた。ふと、舌先に残った血の味に気付いて、ぞくりと身を震わせるそのときまでは。


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