観覧注意*素人の創作文掲載中


エンジェル

2015年02月13日 15:15

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・序章-四 (過去文-2013作成)




'母子家庭の子育て'

疲れ果てたのか、夕食後すぐにお風呂に入った小太郎はいつもより早く就寝してくれた。ベッドに寝かしつけ、私は薄い上着を羽織って寝室隣のリビングへ移動する。入園式の帰り、図書館で借りてきた数冊の本を手に足の短い食卓テーブルの前に正座し、暫くそれを読みふける。内容はどれも子育てや教育に関するものばかりだ。こうして本を見ながら子育てについて考えるのは、久々。赤ん坊の頃の小太郎を預かった時以来だと思う。

私と小太郎の家族構成には当然、父親の存在がない。凡そ五年の間、私は両親の協力を得ながらもこの身を'軸'に小太郎の子育てをしてきた。そしてそれは私が17のとき――高校3年になったばかりの春先に――赤ん坊を育てるという決断をしたことを意味してもいる。


 


はじめ、私は事件性を示唆して警察に駆け込んだ経緯があった。自宅のベッドに突然見ず知らずの赤ん坊が表れたなんて状況、とても私一人の判断で解決できる事態ではないだろう。事情聴取の際は自宅ではなく、その付近の公園で赤ん坊を発見したのだと言って私は赤ん坊との関連性を否定した。あくまで、周りに母親の姿がないのを訝しんで交番に駆け込み何らかの確認と赤ん坊の身元引き取りをしてもらおう思ったのだと。流れを咄嗟の機転で作り上げたのだ。

けれどその時初めて抱きかかえた、まだ首も座っていない様子の赤ん坊の姿は妙に私の記憶に残り。暫くの間頭の中を占めていた。

警察に赤ん坊を引き取ってもらってから半月後。事情説明の協力者の立場として、赤ん坊の今後の扱いに関する報せが届いた。どうやらその時点では捜索願も身元の証明も確認できなかったらしい。一先ず孤児院に身元を引き取らせ、それらしい親元が表れるのを待つという事。赤ん坊の両親がすぐに見つかるのを願っていた私からすれば、それは酷く不満な内容だった。

それから幾度か、学校の通学のため別居している両親にその旨を相談し、事前に孤児の引き取り機関から教えてもらっていた例の赤ん坊の預かり先に、私は足を向けることになる。報せが届いて、一月もしない内の行動だった。幸い預かっている孤児院は私の住んでいる地域から電車で四〇分程度の場所にある。その折には主婦業の母が駆けつけ、私と共に赤ん坊の様子を確かめてくれた。その時はまだ母にも発見した時の本当の状況は告げず、警察に説明したものと食い違わないようこの一件を説明していた。

一度しか面識がない赤ん坊との、再会。けれどどうしてか、その姿を一見した途端、私は言い知れない嬉しさに全身を打ちふるわせた。どうやら乳幼児を多く請け負っている様子の施設内には、病院の生後間もない赤ん坊たちをまとめて管理する部屋のようにベビーベッドがずらりと並べられていたのだけど、係員に示してもらわずとも私はすぐその子を見分けた。ベッドサイドの四方にある柵の脇から、穏やかに眠るその子をとくと見る。まだうっすらと逆立つ、本物の赤毛。あの時の子と、分からないはずもなかった。

その再会をきっかけに、私は高校に通いながら、適当な理由をつけ電車の定期まで買って毎日のようにその赤ん坊のいる孤児院に通うようになった。最初こそ施設で働いている人たちには異様な目で見られたけれど、どう見ても私はただの高校生。責任感や情が強い無害な人柄だと認識してもらうのに時間はかからなかった覚えがある。

それから約一年。高校を卒業するまで、自分の中に募るある想いを試すように赤ん坊―――小太郎の成長を見続けるに至った。けれどいい加減、私の様子がおかしいと母が気付き始めるのだ。私の行動はもう、誰の目から見ても、可哀相な孤児を憐れむだけのものではない。これはまさか、もしかしたら――。そう案じ始めた母は私に、孤児院に通うのは止めるよう激しく言い募るようになった。そしてそれは母だけには留まらず、父の心配も仰ぐ結果となってしまう。

そして私は高校を卒業し、大学に入るまでの一時期。両親の手によって実家に連れ戻され孤児院に行くことを禁止されたのだ。

私は一人っ子で、別々に暮らしてはいても両親と疎遠になるなんてことは考えられない仲を築いてきていた。何があっても、二人は自分の味方であると疑ったことはないくらいに。だからだろうか、その時の両親の強い反対と拒絶、有無を言わせない私の扱いに、私は怒りよりもずっと深い虚脱感を感じずにはいられなかった。それだけ両親は私の心配をしている。それが分かっていても、明らかに作為的に、私の気持ちを変えようと、海外にまで連れ出され情理と認識を改めるよう働きかけられるのが、徐々に許せなくなった。

揺るがぬ理解を示してくれると信じていた存在に、その時の私からすれば、非情ともいえる思惑を向けられている。

仕事のある父を母国に残しての束の間の海外生活を終えたのち、私は迷わず、家を出ることを決意した。

別居しながら住んでいた家にも一切立ち寄らず、私はなんとか同じ高校の女友達にルームシェアを持ち掛け大学に通い始めた。僅かな貯金と週五回のアルバイトで入る扶養内の給金をやりくりした生活。両親が口座番号を知っているクレジットカードは荷物の奥底に眠らせ、仕送りが入っていようがいまいが一切充てにしないという固い覚悟があった。父の名義で契約してある携帯機器もそれと同様。私は両親と一切連絡を取らないつもりで、自分名義の新しいものをこれからの連絡手段にした。

受験を考えていた時から既に、故意的に大学は孤児院の近場にあるできるだけ偏差値の高い教育機関と決めてはいた。

けどそれでも、大学に入ってからは目の回るような、目まぐるしい日々が私を至る角度から嬲りつくした。一日にとれる睡眠は平均5時間にも満たない。孤児院、学校、バイト、隙間時間の勉学と買い出しと。両立するには細かな時間管理が不可欠だ。それこそ俗にいう、大統領や某企業の社長が熟す様な分刻みの予定を毎日組み立てる。馬鹿な事。でもそのくらいしてしっかり物事を熟せなければ、自分も、両親も、納得させられるだけの結果を、今となっては得られなかったのだとよくわかる。

でもそんな中でも、睡眠時間を削ってでも孤児院に通い続けるのは決してつらいだけのものではなかった。寧ろ嘗てない自分の思いの強さに打ちふるわされ、孤児院のベッドを覗き見るたび、抱き上げてと言わんばかりに懸命に両手を伸ばしてくる小太郎の腕。それを目にすれば、自分に強いている苦労も一瞬で蕩けていく。私が傍を離れれば号泣し、傍にあれば全てを受け入れてくれるかのような笑顔を返してくれる―――。

盲目的な愛情とは、正にこのことを言うのだと思った。本当に、不思議なくらいに。説明しようのない何かが私を、この子に引き付けようとするのだから。それに逆らう事こそきっと、馬鹿な事。

そしてそれから、半年くらい経った頃だろうか?どうもその、大学に入ったばかりの記憶は小太郎のこと以外記憶があいまいなのだ。多分季節は秋だったように思うから、恐らく半年で間違いないはず。

その日もいつものように孤児院へ訪れた。確か久々のバイトのない休日だったように覚えている。時間は昼頃。風は冷たいものの天気のいい日。

昼間は施錠されない職員専用の入り口から孤児院内に入った私は、すっかり見慣れた職員の一人に声をかけられた。珍しいことだったけれど同じ女性相手に警戒を抱くのもおかしな話。言われるままにその女性について行き、普段は孤児を引き取る相談に訪れる一般の人たちが通される部屋に通される。

何の疑いも、持っていなかった。両親と連絡を取らなくなってから随分経っている。再び私が小太郎と会うことを反対するつもりなら、私の居場所は分からずともこの孤児院で待っていれば簡単に私と接触することが出来るのに、その時まで母も父もそれをしなかった。

部屋の中に居る人を見て、私は愕然とした。そこには父が―――母ではなく、父がひとり、私を待っていたのだ。

父は以前から見慣れたままの、堅苦しいタイトで隙のない黒のスーツを着て私をその視界に捉えた瞬間、椅子から立ち上がった。その姿を見た途端、私は一体何を言われるのだろうと身構える。もう懐かしいとも思える父の存在。けれどその圧倒的な存在感と重厚さの前に、私はこの時まで絶対と信じていたはずの行いが新聞紙のように薄く、破れやすい存在のように錯覚せずにはいられなかった。自分の父ながら、とても四十代という、歳を感じさせない洗練された硬質な雰囲気。スーツの皺ひとつにすら眉を寄せる神経質さ。見た目だけで言えば、底冷えするような混じりけの一切ない黒い瞳を持つ、人間味にかけたビジネスマン―――。

私は恐怖さえ覚えたものだ。どんな手段で私の言葉を打ち崩しに来たのだろう。決意の薄さを暴き陰りを一切生み出さない真っ白な明るみのもとへ引きずり出し、私の決意を正論という光で焼き尽くすのだろう。と。

どうあったって、たかが18歳の娘が父親を言葉で納得させることなんて―――

そう、今まで植えつけられた'摺込み'に全身を巡り身動き一つとれない程の敗北を自覚させられた時だった。

思いもよらぬ衝撃と温もりが感じられた。咄嗟に自分は殴られたのだろうかと思った。

けれど実際の父の反応は、私が全く予期していなかったものなのだと、上半身を包む温もりと視界を覆う、ジャケットの襟の下から見える真っ白なワイシャツに気付いて分かったのだ。

その後私は、無事両親の理解と許可を得て心置きなく孤児院に、小太郎のもとへ通えるようになり。素直に父と母の行為を受け入れて荷物の中からクレジットカードも、二人の連絡先が登録されたままのスマートフォンも半年ぶりに拝むことが出来た。アルバイトはシフトの日数を減らすだけに留め、ルームシェアの相手とも都合がたまたま一致して部屋を出る流れになり私は高校時に住んでいたマンション―――母の身内が管理している部屋をただ同然で借りているため、半年間ずっとそのままだった―――に戻る。

そしてこの時ほど両親の存在と、母もはっきりとは把握し切れていない父の経済力に感謝し、同時にある意味の一線を引いたことはないだろう。何故ならこの半年間にガリガリとまでは言わないが危ない具合に痩せてしまった私に相当な衝撃と自己嫌悪に陥ったらしい父が、その半年間で実践された私のこれ以上なく摂生された生活を根底から覆すがごとくの食品と服とアクセサリーと靴にバッグ、家具に自転車に、果ては高級車という一般家庭ならどうあがいても不可能と断言できる量を全て同時期に私に送ってみせたのだ。始めは、興味半分に大体の値段を合算していたのだが途中から電卓をたたく指に震えが生じるようになり、車を送られたのを決定事に一切父が私に貢いだ金額を考えるのは止した。余談だが、それまで他の家庭とほとんど変わらない、でも少し余裕があるのかな程度に考えていた我が家の金銭事情だが。恐らく父のポケットマネーからの出費であろう、その底知れなさには一時自分の育った環境に疑問が浮かび私は若干蒼褪めながらまだ未取得の車の免許は自分の稼ぎで取ると密かに誓った。父の優秀さに払われる対価と私が半年間稼いできたお給料との途方もない差を知れば、それがそのまま私の価値の低さに思え死にたくなるので一生探らないまま、私は私なりに働いて心穏やかにいよう。

母や父がよくマンションに立ち寄るようになり、実家じゃなく最早そこが二人の帰る家で家族団欒の場と化しつつあった二学生進級前の春休み。遅生まれの私が一年の遅れをもって漸く、19歳になった頃。――――そうして、あと少しで小太郎が、医学的調査結果の面を鑑みても、2歳を迎える直前。

打ち解けた両親に、私は全てを包み隠さず言うことにしたのだ―――。





こうして小太郎を引き取った現在から考えてみれば、そのときの私の決意はきっと、両親を納得させてやろうと苦難した半年間がなかったら唯の我儘で片付けられていたに違いない。若いゆえの思い込みの強さとは、時に甚だしい勘違いを生むのだと・・・。小太郎に向けた愛情ごと、父の片手で軽く払われる扱いを受けるしかなかっただろう。

でも私は今、二人の理解と信用を保ったまま、大学もアルバイトも続けたまま、あの時と変わらずマンションで暮らしている。変化したのは私の責任感と、20を迎えると同時にやっと得ることが叶った存在―――私の天使が、息子として此処に居る事。

両親に話した全てとは、信じがたい事象のもとに現れた小太郎の存在と、それから徐々に募っていった私の思い、願い。腕を伸ばされる限り、求められる限り私は小太郎に応え続けるという一等強い想いも持った、決意。

それに誓って私は、小太郎を健やかに、大きく、育てよう。


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